こんばんわ!! てつです(^^)
セルビアのベオグラードで生活して4日目。このセルビアに来た日から感じていた疑問を今日は調べてみました!!
疑問ってのはね。簡単なこと。
セルビア人ね。
「でかい」んですよ!!
あ、身長の話ね。
これまで東南アジアを過ぎてから、エジプト➡トルコ➡ブルガリア➡セルビアと来たんですが、セルビアに入った瞬間「ん?」って思った!!だって道行く人190cm越えてるんちゃう?って人普通にいっぱいおるねんな!女の人もむちゃでかいし!!
エジプトとかトルコとかブルガリアは同じくらいの人らばっかやったけど、あきらかにセルビアでかい!!
ほんで調べてみたら、やっぱりセルビア人って平均身長世界第三位の182cmらしい!そりゃでかいわな!!ちなみに1位はオランダ。2位はボスニアやって!
※なんか身長のサイトいっぱいありすぎてどれが本間かよくわからんかったけどとりま調べたのは3位やった笑。
とまー来てからの疑問も解決して、本日は散歩DAY!!
ぶっちゃけやることないねん笑。
正直に言って、セルビアには失礼かもせえへんけど、やることないんですよ(-ω-)/ 本間はセルビアは2泊で次のハンガリーに行くはずやったんいけど、俺の腰痛発生もあって4泊になってもうてんな笑。
てことで本日は散歩で13キロ歩きました(^^)/
散歩の域越えてるよな笑。
カルボナーラパスタ。400g200円。二人でこれ一個で大丈夫笑。
昼間からビール笑。
街並み(^^)/
3キロくらいでいったんベンチで休憩。
6キロ地点でトイレ休憩を兼ねて、コーヒーと、チーズケーキとビール笑。
海のない国のセルビアは川がビーチ(^^) ちなみにダハブの今日綺麗な海から来た俺らにはちょっと汚なかったかな笑。
ほんでもみんな体やいたり、川杯入ったり(^^)/
とまーこんな感じにゆるく生活してますが、ここからは真面目なことも少し。。。
セルビアについてね。
実はこのセルビアって国1999年。今から20年もいかんくらい最近に、NATO軍から空爆を受けてます。セルビアの首都ベオグラードは空爆を受けて破壊され、今もなお空爆の被害を受けたビルが建っているくらいです。※町は全然きれいですよ!!
じゃあなぜ空爆を受けたの?!って話になるんやけど、
「コソボ紛争」
って聞いたことある人も多いんちゃうかな?コソボって言う地域(今は国?なんかな?)にはもともとセルビア人が住んでたんやけど、オスマン帝国が攻め込んできてコソボの地域を支配したみたい。
そのときセルビア人はコソボの地域から出て行って、隣国のアルバニア人が多く住むようになったみたい。ほんで、オスマン帝国がコソボからでていったとき残ってた多数のアルバニア人(宗教はイスラム系)と少数のセルビア人(宗教キリスト系)が一緒に住んでいる状態に。
二つの民族は言語(アルバニア語とセルビア語)も違えば宗教も違う。アルバニア人が多く住んでても、コソボっていうのはもともとはセルビアの領土内の地域。だから、セルビア側は政府機関や学校でセルビア語しか使われへんようにして、アルバニア人をおいだそうとした。やけど、アルバニア人からしたら、コソボをアルバニア人の国として独立させたい。そうやって対立を深めていったみたい。
そうこうしてるうちに対立は激化して収集つかん状態に。そこで、NATOが独立側(アルバニア側)について参戦。セルビアの首都、ベオグラードに空爆を行ったという流れ。
※ちなみにNATOがアルバニア側についた理由とかはちょっと複雑なので、間違ったこと書いてもあかんので今回は割愛。あと、この空爆までの流れも俺の調べ方が悪くて間違ってるかもせんので、詳しくはご自分でお調べください。
ちなみに今はコソボは新しい国として独立してます(認めてない国もあるみたい)
ちょっと怖くない?
1999年って言ったら俺はすでに小学校6年やったし、たった数十年前に実際に空爆が行われてるねんで。
世界一周してて思うんやけど、「平和=安心して生きられる環境があること」って考えると、日本はとてつもなく恵まれてると思う。し、むしろ当たり前すぎて、そのありがたさが正しく理解されてないと思う。
これは俺が世界一周中に体験したことやけど、
マレーシアのマラッカに行ったとき。マラッカで泊まった初日の深夜4時くらい。「ドカーン!!!」っていう「爆弾が落ちたんちゃうかな?」って思うくらいの衝撃音が夜中に町全体に響いて、
「テロや!」って思って、そっから夜なかなか寝付けんかったことがあった。結局何もニュースにもなってなかったし、その後雨も降ったから雷だったと今では信じてる。
つい最近泊まったイスタンブル。ちょっとゲストハウス街から離れた地元民が集う商店街のゲストハウスに泊まってたとき。夜中の2時くらいに「パンパン!!」って拳銃を打ったような音と閃光が光るような明るい光。外の通りの騒ぎ声で目を覚ました。
むっちゃ怖くて、部屋の扉の鍵を再度締めなおして、布団に入ってもなかなか寝られんこともあった。特にニュースになってなかったから俺は誰かが花火したり、街の電線が故障したと信じてる。
今の世界の現状から見ると、どこで何があってもおかしくないと思う。もちろん日本でも。
本間に「平和」な世界になって欲しいなって思う。
それぞれの国の考えで対立することもあるけど、「だれもが安心して生きられる環境」だけは奪ったらあかんのちゃうかなって思う。
し。そもそも「だれもが安心して生きられる環境」に世界をしていかなあかんなとも思う。
そんな世界にしていきたいな。
と、ふと思わされたセルビア観光でした。
ちなみにこのブログを書いている目の前で中国人がおいしそうなご飯をむしゃむしゃ食べてて、
キッチンではフィリピン人がうどんみたいなのを料理してて、
廊下では今日も酔っぱらってるトルコ人が騒いでて、
ドミトリールームでは金髪女性が裸でひたすら寝てる
そんな「平和」なベオグラードのゲストハウスです。
~本日の嫁料理~
・スイカ
・フランスパンのガーリックソース焼き
・野菜炒めバジル風味
・プロシュートとサラミ
・トマトときゅうりのオリーブサラダ(写真がないのは俺がつまみ食いで全部食べた笑)
・ビール4缶
しめて二人で800円(^^)/
ではでは、読んでくださりありがとうございました(^^)
明日は寝台列車でハンガリーのブダペストに行きます!!
応援よろしくお願いします(^^)
セルビアのベオグラードで生活して4日目。このセルビアに来た日から感じていた疑問を今日は調べてみました!!
疑問ってのはね。簡単なこと。
セルビア人ね。
「でかい」んですよ!!
あ、身長の話ね。
これまで東南アジアを過ぎてから、エジプト➡トルコ➡ブルガリア➡セルビアと来たんですが、セルビアに入った瞬間「ん?」って思った!!だって道行く人190cm越えてるんちゃう?って人普通にいっぱいおるねんな!女の人もむちゃでかいし!!
エジプトとかトルコとかブルガリアは同じくらいの人らばっかやったけど、あきらかにセルビアでかい!!
ほんで調べてみたら、やっぱりセルビア人って平均身長世界第三位の182cmらしい!そりゃでかいわな!!ちなみに1位はオランダ。2位はボスニアやって!
※なんか身長のサイトいっぱいありすぎてどれが本間かよくわからんかったけどとりま調べたのは3位やった笑。
とまー来てからの疑問も解決して、本日は散歩DAY!!
ぶっちゃけやることないねん笑。
正直に言って、セルビアには失礼かもせえへんけど、やることないんですよ(-ω-)/ 本間はセルビアは2泊で次のハンガリーに行くはずやったんいけど、俺の腰痛発生もあって4泊になってもうてんな笑。
てことで本日は散歩で13キロ歩きました(^^)/
散歩の域越えてるよな笑。
カルボナーラパスタ。400g200円。二人でこれ一個で大丈夫笑。
昼間からビール笑。
街並み(^^)/
3キロくらいでいったんベンチで休憩。
6キロ地点でトイレ休憩を兼ねて、コーヒーと、チーズケーキとビール笑。
海のない国のセルビアは川がビーチ(^^) ちなみにダハブの今日綺麗な海から来た俺らにはちょっと汚なかったかな笑。
ほんでもみんな体やいたり、川杯入ったり(^^)/
とまーこんな感じにゆるく生活してますが、ここからは真面目なことも少し。。。
セルビアについてね。
実はこのセルビアって国1999年。今から20年もいかんくらい最近に、NATO軍から空爆を受けてます。セルビアの首都ベオグラードは空爆を受けて破壊され、今もなお空爆の被害を受けたビルが建っているくらいです。※町は全然きれいですよ!!
じゃあなぜ空爆を受けたの?!って話になるんやけど、
「コソボ紛争」
って聞いたことある人も多いんちゃうかな?コソボって言う地域(今は国?なんかな?)にはもともとセルビア人が住んでたんやけど、オスマン帝国が攻め込んできてコソボの地域を支配したみたい。
そのときセルビア人はコソボの地域から出て行って、隣国のアルバニア人が多く住むようになったみたい。ほんで、オスマン帝国がコソボからでていったとき残ってた多数のアルバニア人(宗教はイスラム系)と少数のセルビア人(宗教キリスト系)が一緒に住んでいる状態に。
二つの民族は言語(アルバニア語とセルビア語)も違えば宗教も違う。アルバニア人が多く住んでても、コソボっていうのはもともとはセルビアの領土内の地域。だから、セルビア側は政府機関や学校でセルビア語しか使われへんようにして、アルバニア人をおいだそうとした。やけど、アルバニア人からしたら、コソボをアルバニア人の国として独立させたい。そうやって対立を深めていったみたい。
そうこうしてるうちに対立は激化して収集つかん状態に。そこで、NATOが独立側(アルバニア側)について参戦。セルビアの首都、ベオグラードに空爆を行ったという流れ。
※ちなみにNATOがアルバニア側についた理由とかはちょっと複雑なので、間違ったこと書いてもあかんので今回は割愛。あと、この空爆までの流れも俺の調べ方が悪くて間違ってるかもせんので、詳しくはご自分でお調べください。
ちなみに今はコソボは新しい国として独立してます(認めてない国もあるみたい)
ちょっと怖くない?
1999年って言ったら俺はすでに小学校6年やったし、たった数十年前に実際に空爆が行われてるねんで。
世界一周してて思うんやけど、「平和=安心して生きられる環境があること」って考えると、日本はとてつもなく恵まれてると思う。し、むしろ当たり前すぎて、そのありがたさが正しく理解されてないと思う。
これは俺が世界一周中に体験したことやけど、
マレーシアのマラッカに行ったとき。マラッカで泊まった初日の深夜4時くらい。「ドカーン!!!」っていう「爆弾が落ちたんちゃうかな?」って思うくらいの衝撃音が夜中に町全体に響いて、
「テロや!」って思って、そっから夜なかなか寝付けんかったことがあった。結局何もニュースにもなってなかったし、その後雨も降ったから雷だったと今では信じてる。
つい最近泊まったイスタンブル。ちょっとゲストハウス街から離れた地元民が集う商店街のゲストハウスに泊まってたとき。夜中の2時くらいに「パンパン!!」って拳銃を打ったような音と閃光が光るような明るい光。外の通りの騒ぎ声で目を覚ました。
むっちゃ怖くて、部屋の扉の鍵を再度締めなおして、布団に入ってもなかなか寝られんこともあった。特にニュースになってなかったから俺は誰かが花火したり、街の電線が故障したと信じてる。
今の世界の現状から見ると、どこで何があってもおかしくないと思う。もちろん日本でも。
本間に「平和」な世界になって欲しいなって思う。
それぞれの国の考えで対立することもあるけど、「だれもが安心して生きられる環境」だけは奪ったらあかんのちゃうかなって思う。
し。そもそも「だれもが安心して生きられる環境」に世界をしていかなあかんなとも思う。
そんな世界にしていきたいな。
と、ふと思わされたセルビア観光でした。
ちなみにこのブログを書いている目の前で中国人がおいしそうなご飯をむしゃむしゃ食べてて、
キッチンではフィリピン人がうどんみたいなのを料理してて、
廊下では今日も酔っぱらってるトルコ人が騒いでて、
ドミトリールームでは金髪女性が裸でひたすら寝てる
そんな「平和」なベオグラードのゲストハウスです。
~本日の嫁料理~
・スイカ
・フランスパンのガーリックソース焼き
・野菜炒めバジル風味
・プロシュートとサラミ
・トマトときゅうりのオリーブサラダ(写真がないのは俺がつまみ食いで全部食べた笑)
・ビール4缶
しめて二人で800円(^^)/
ではでは、読んでくださりありがとうございました(^^)
明日は寝台列車でハンガリーのブダペストに行きます!!
応援よろしくお願いします(^^)
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