【世界一周 84日目】ポーランド クラクフ『アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所見学ツアーに参加して』

こんばんは。てつです。
※8月23日の記事です。




今日はちょっと真剣にブログを書こうかなと思います。



内容は『アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所』見学のツアーについて。






まず、今いるのはポーランドのクラクフという街です。歴史ある街で、ポーランドの首都がワルシャワになる前は、このクラクフがポーランドの首都でした。※クラクフの街の様子は【世界一周 83日目】のブログを読んでいただければと思います。


そんなクラクフから2時間ほどバスに揺られて着くのがオシフィエンチム。あまり聞きなれない名前かもしれませんが、『アウシュヴィッツ』はドイツ語名であって、ポーランドでは『オシフィエンチム』の方が通じます。





今回自分たちが参加したのは、アウシュヴィッツ収容所と、アウシュヴィッツ収容所からバスで5分程度のところにあるビルケナウ収容所を含め約4時間のツアーでした。




ツアーは嫁と、アイスランド一周メンバーのしゅんくんと3人で参加しましたが、まず第一に『1人で参加しなくて良かった』ということ、そして、見学途中に『吐き気がする』と感じる程のツアーでした。




同じ人間として『なぜこんなことができるのか?』と心の底から疑問がわくと同時に、同じことはもう二度と繰り返してはいけない』と強く感じたものでした。




まずは『アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所』とはなんなのかについて。






【アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所】
アドルフ・ヒトラー率いるナチスドイツが、第二次世界大戦中に国家をあげて推進した人種差別による絶滅政策および強制労働により、たくさんの犠牲者をだした強制収容所。一説では、亡くなった人は150万人ともいわれ、その90%がユダヤ人であった。その他に、ジプシー(家をもたない移動民)、政治犯、精神障がい者、身体障がい者、捕虜、聖職者などその出身国は28か国にも及ぶ。


【作られるまでの流れとその後】
1940年 アウシュビッツ第一強制収容所開所。犯罪常習者やポーランドの政治犯を収容

1941年 ガス室を備えた複合施設が完成

1942年~44年 大小合わせ40ほどの収容施設が完成

1942年 ヒトラーはドイツ国内のユダヤ人強制労働者15万人をアウシュビッツ移送を命令

1943年 10万人を超えるユダヤ人が収容所に到着

1944年 約60万人のユダヤ人が収容所到着
・8月にジプシーに対して最後の処刑が行われ、当日3000人が殺害される。殺害された総数は2万人

1945年 ソ連軍により解放。生存していた人は5万人程


【アドルフ・ヒトラーについて】
人種主義や優生学、ファシズムに選民思想に基づき、北方人種が世界を指導するべき主たる人種と主張していた。アーリア人の血統を汚すとされた他人種である有色人種(黄色人種・黒色人種)やユダヤ系、スラブ系、ロマとドイツ国民との接触を断ち、また迫害する政策を推し進めた。※なぜヒトラーがこれだけの力をもったのかは割愛させてください。





少し座学的な要素が多くなりましたが、実際にこのツアーに参加した後に感じるこれらのことは、過去の惨劇を知る上で必ず必要なものだと思います。



ここからは実際に自分たちがツアーに参加して見たこと。そしてその場で感じたことを書きます。



まずとにかく広大な土地作られた収容所。



この広大な土地は、最終的には『人を殺すための場所」になりました。





アウシュヴィッツ内にある収容所。ここにたくさんの人たちが収容され、信じがたい生活を送っていました。


外観を綺麗に作っているのは、収容所の外に住む人々から怪しまれないためなんだとか。

たくさんの靴。髪をとぐくし。そして写真は撮影禁止でしたが、殺された人たちの「髪の毛」も展示してありました。











ガス室で使われていた殺虫剤。ガス室は一室じゃなく、何室もあります。「人を殺すためにつくられた部屋」本当に吐き気がしますね。





「死の壁」ここで抵抗抵抗組織の人たちが見せしめに銃殺されたようです。このあたりで気分が悪くなり吐き気に見舞われたのを覚えています







僕たちは英語ツアー(しっかりと内容を理解するには、唯一の日本語ガイド中谷さんのツアーで参加したほうが良いと思います!!)で参加したので、ガイドさんの解説は実際3割程度しか理解できませんでしたが、展示してある説明文の英訳を読んでなんとか理解しようとしました





ただ、嫁さんは「英語で良かったかも。日本語で聞いてたら内容が全部理解できて、最後まで見学できなかったかも」と聞いたときは「確かに。」とも思いました。



その後、バスでビルケナウ収容所に移動。ここもまた広大な土地。



周囲は鉄線で囲まれていて、電流が流されていたそうです。



この収容所までひかれる鉄道。着いた場所で、「労働者」「人体実験の検体」「価値無し」などに分けられました。75%もの人たちが「価値無し」と判断され、そのまま何の記録も残されぬままガス室に移動させられました。






収容された人たちのトイレ。用をたすのは1日2回ときめられていて、プライバシーなどまったくなく、水も十分になく衛生環境は最悪な状況だったようです。





収容された人たちが寝ていた場所。ここで生活をしていたとき、何を考え、どんなことを感じていたのか。恐ろし過ぎて。





だいぶ割愛しましたが、以上が実際に見学をして見たこと。そして感じたことでした。

今このアウシュヴィッツの見学ツアーには、年間110万人が参加しているようです。(その中で日本人は約5000人とのこと。)


このことを聞いて少し希望を感じたことを覚えています。


この過去の過ちと惨劇を学ぶツアーに、約4時間の時間をかけお金を払って参加している人たちがこれだけいる


つまり、それだけ『平和』や『差別のない世界』を求める人たちがいる、または過去の過ちをこの目で見て、学ぼうとする人がいるということ。


なら、こんなような同じ過ちは繰り返されないかもしれない。


そして、この土地で起こった出来事は何百年も昔の話ではなくたった70年ほどの前の出来事。この出来事を風化させず、しっかりと過去から学んでいくことが、今の時代を生きる自分たちのすべきことなのだと思います。




この土地で起きた惨劇が二度と起こらないように、また自分自身も加担しないように、今日見たこと、感じた事をしっかりと心にとめておこうと思うます。










長くなりましたが、読んでくださりありがとうございました。見学で聞いた話以外にも誤認があってはいけないので自分なりに確認を取ってから書いた記事ではありますが、何か記載に間違えがあれば遠慮なく教えてください。









最後に、今回のアウシュビッツ見学ツアーのように、「世界を旅する」ことはただ「楽しむ」だけなのでなく、「学ぶチャンスがある」ということだと最近感じるようになりました。








例えば、最近調べたことをあげると、

・ヨーロッパを旅することで「EU」というまとまりについて肌で感じることが多くなる(パスポートや通貨)
➡ EUについて調べる。何の目的でEUができたのか。どんな利点があるのか。問題点はあるのか。なぜイギリスはEUを離脱するのか。



・言語について(英語の通じる国や英語が母国語の国、スペイン語が主流の国) 
➡ 各国の歴史(占領・独立・歴史的背景)について学ぶ。なぜアメリカやイギリス、オーストラリアやカナダなど英語が話されているのか。南米でスペイン語が主流なのはなぜか。




この他にも旧ユーゴの歴史やイスラム国、キリスト教などの宗教についても学ぶことができました。




教科書で学ぶだけでなく、実際に肌で体験することで出てくる疑問を放置せずに、しっかりと調べて学んでいく。そういったスタイルをこの旅できちんと続けてこれているのは自分の中では納得している部分でもあります。





今後も旅を通じて世界を楽しみ!それだけでなく、旅を通してたくさんのことを学んでいきたいと思います。




読んでくださりありがとうございました。

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