こんばんわ!! てつです(^^♪
※10月6日の記事です。
最近は世界一周にも慣れてきたのか、ヨーロッパのゆるい旅のせいなのか、時間が流れるのが早く感じます('ω') 気づけばもう旅の半分を終え、来月の中旬には待ちにまった南米インです(*´з`)
そんなこんなで本日はベルリン観光!!
ベルリンと言えばやっぱり「ベルリンの壁!!」
昔カップラーメンもCMでベルリンの壁が壊されているようなCMあったの覚えてますか?嫁さんは知らない!って言ってましたが確か小学生くらいのときにあったような…('ω')
そんなこんなでチェックアウト準備をして出発!!
ちなみにベルリンのゲストハウスは基本1階がバー!2ユーロ(約260円)で瓶ビールも売っていて夜は結構にぎやかです(^^♪
ベルリンの町はきれいですが、本日はあいにくの雨模様"(-""-)" 降ったりやんだりのくりかえしです(。-`ω-)
まずはお腹が減ったので腹ごしらえ(^^♪ 久々にカレーが食べたいと思っていたので、本日は昼ご飯はタイカレー(^^♪
正直タイで食べたタイカレーより日本人?の味覚にあっておいしいです笑。
ではでは、ベルリンの壁にむけて出発!!
ちなみにベルリンは公共交通機関が発達しているので、決められた区間、バスや電車、地下鉄が使い放題の「1日乗車券」を購入!(7ユーロ、約900円)
これで空港までもいけちゃいます!(^^♪
ではでは、まずは「ベルリンの壁」について!
第二次世界大戦で敗戦国となったドイツは日本同様戦勝国によって統治されました。ドイツの西側を資本主義陣営のアメリカ・イギリス・フランスが。東ドイツを社会主義陣営のソ連が統治することに。
ただし、ドイツの中心であるベルリンについては、東ドイツの中にありながらベルリン市内を西ベルリンと東ベルリンに分けて統治する。という形をとっていたようです。
つまり、「ベルリンの壁」というのは、東ドイツ内にある西ドイツの飛び地である「西ベルリン」を囲む形で作られた壁のことのらしいですね!!
僕はてっきり西ドイツと東ドイツを分ける壁だと思っていましたが笑。
ちなみに壁がつくられたのは、なんでも資本主義陣営の西ベルリンと、社会主義陣営の東ベルリンで生活の差があり(西ベルリンの方が経済的に豊か)東ドイツに住む人たちが西西ドイツに流れ込むのを防ぐためらしい。
※東ドイツと西ドイツの国境の行き来はできなかったのですが、東ベルリンと西ベルリンの行き来は自由だったため。
このベルリンの壁は西ベルリンを囲むもので、150キロほどの長さがあり、一夜にしてまず有刺鉄線で西ベルリンを囲みその後壁が築かれたようです。
ここまでするか?ってくらいですが、当時の東ドイツ陣営としてはここまでする必要性があったのでしょうね(。-`ω-)
現在残っている壁はベルリン市内でも数少なく、その中での「イーストサイドギャラリー」というところは1キロ以上もベルリンの壁が残っています!
「ギャラリー」というだけあって、壁には絵がたくさん!!
ではでは、実際に行ったベルリンの壁(*´з`)
壁は以外に薄く、本気を出せば乗り越えられるんじゃないか。と思えるくらいの高さでした!!
たくさんの絵がいっぱい!!
日本にまつわる絵もありました!昔は落書きだらけだったらしいですが、塗りなおされたみたいです('ω')
結構メッセージ性が強いものが多かったですね。
お次は有名な、二人の男性がキスをしている絵!
この男性二人は旧ソ連のブレジネフ書記長と旧東ドイツのホーネッカー書記長で、この絵はこの二国が密接な関係であり、旧ソ連と東ドイツの癒着を表す皮肉めいた絵だといわれています。
結構いいこと書いた絵も。
んー。「ベルリンの壁」。
この壁が崩壊したのが1989年と、意外と僕が生まれてからの出来事。つまり、現在は本当に豊かで発展した国であるドイツも、東西を統一したのは僕が生まれてから。
世界って30年あれば果てしなく変化する。
今後自分たちが生きていく社会や世界がどう変化していくの。
楽しみですね。
そこからはいくつかのベルリン観光!!
ただ、あいにくの雨模様であまり写真映えはしませんが('ω')
観光するときの雨はつらいです笑。
ブランデンブルグ門!!
今回の旗はここで撮影!本間はベルリンの壁のつもりでしたが、ちょっと場違いかなと自粛です笑。
戦争の記念碑?
ユダヤ人墓地?
実はベルリンもベルリンの壁以外の観光地はあまり調べていなかったので結構ざっくりの見学笑。
雨が強くなってきたので夕方には荷物を預けている宿に戻ります。
そこからは宿の共有スペースでゆっくり('ω')
ここからベルリンにあるテーゲル国際空港に移動して、明日の8時半のフライトでフランスのパリにむかいます(^^♪
はい。
つまい本日は空港泊!笑
さあーテーゲル空港には良い睡眠スポットがあるかな?笑
こうご期待です笑!
※10月6日の記事です。
最近は世界一周にも慣れてきたのか、ヨーロッパのゆるい旅のせいなのか、時間が流れるのが早く感じます('ω') 気づけばもう旅の半分を終え、来月の中旬には待ちにまった南米インです(*´з`)
そんなこんなで本日はベルリン観光!!
ベルリンと言えばやっぱり「ベルリンの壁!!」
昔カップラーメンもCMでベルリンの壁が壊されているようなCMあったの覚えてますか?嫁さんは知らない!って言ってましたが確か小学生くらいのときにあったような…('ω')
そんなこんなでチェックアウト準備をして出発!!
ちなみにベルリンのゲストハウスは基本1階がバー!2ユーロ(約260円)で瓶ビールも売っていて夜は結構にぎやかです(^^♪
ベルリンの町はきれいですが、本日はあいにくの雨模様"(-""-)" 降ったりやんだりのくりかえしです(。-`ω-)
まずはお腹が減ったので腹ごしらえ(^^♪ 久々にカレーが食べたいと思っていたので、本日は昼ご飯はタイカレー(^^♪
正直タイで食べたタイカレーより日本人?の味覚にあっておいしいです笑。
ではでは、ベルリンの壁にむけて出発!!
ちなみにベルリンは公共交通機関が発達しているので、決められた区間、バスや電車、地下鉄が使い放題の「1日乗車券」を購入!(7ユーロ、約900円)
これで空港までもいけちゃいます!(^^♪
ではでは、まずは「ベルリンの壁」について!
第二次世界大戦で敗戦国となったドイツは日本同様戦勝国によって統治されました。ドイツの西側を資本主義陣営のアメリカ・イギリス・フランスが。東ドイツを社会主義陣営のソ連が統治することに。
ただし、ドイツの中心であるベルリンについては、東ドイツの中にありながらベルリン市内を西ベルリンと東ベルリンに分けて統治する。という形をとっていたようです。
つまり、「ベルリンの壁」というのは、東ドイツ内にある西ドイツの飛び地である「西ベルリン」を囲む形で作られた壁のことのらしいですね!!
僕はてっきり西ドイツと東ドイツを分ける壁だと思っていましたが笑。
ちなみに壁がつくられたのは、なんでも資本主義陣営の西ベルリンと、社会主義陣営の東ベルリンで生活の差があり(西ベルリンの方が経済的に豊か)東ドイツに住む人たちが西西ドイツに流れ込むのを防ぐためらしい。
※東ドイツと西ドイツの国境の行き来はできなかったのですが、東ベルリンと西ベルリンの行き来は自由だったため。
このベルリンの壁は西ベルリンを囲むもので、150キロほどの長さがあり、一夜にしてまず有刺鉄線で西ベルリンを囲みその後壁が築かれたようです。
ここまでするか?ってくらいですが、当時の東ドイツ陣営としてはここまでする必要性があったのでしょうね(。-`ω-)
現在残っている壁はベルリン市内でも数少なく、その中での「イーストサイドギャラリー」というところは1キロ以上もベルリンの壁が残っています!
「ギャラリー」というだけあって、壁には絵がたくさん!!
ではでは、実際に行ったベルリンの壁(*´з`)
壁は以外に薄く、本気を出せば乗り越えられるんじゃないか。と思えるくらいの高さでした!!
たくさんの絵がいっぱい!!
日本にまつわる絵もありました!昔は落書きだらけだったらしいですが、塗りなおされたみたいです('ω')
結構メッセージ性が強いものが多かったですね。
お次は有名な、二人の男性がキスをしている絵!
この男性二人は旧ソ連のブレジネフ書記長と旧東ドイツのホーネッカー書記長で、この絵はこの二国が密接な関係であり、旧ソ連と東ドイツの癒着を表す皮肉めいた絵だといわれています。
結構いいこと書いた絵も。
んー。「ベルリンの壁」。
この壁が崩壊したのが1989年と、意外と僕が生まれてからの出来事。つまり、現在は本当に豊かで発展した国であるドイツも、東西を統一したのは僕が生まれてから。
世界って30年あれば果てしなく変化する。
今後自分たちが生きていく社会や世界がどう変化していくの。
楽しみですね。
そこからはいくつかのベルリン観光!!
ただ、あいにくの雨模様であまり写真映えはしませんが('ω')
観光するときの雨はつらいです笑。
ブランデンブルグ門!!
今回の旗はここで撮影!本間はベルリンの壁のつもりでしたが、ちょっと場違いかなと自粛です笑。
戦争の記念碑?
ユダヤ人墓地?
実はベルリンもベルリンの壁以外の観光地はあまり調べていなかったので結構ざっくりの見学笑。
雨が強くなってきたので夕方には荷物を預けている宿に戻ります。
そこからは宿の共有スペースでゆっくり('ω')
ここからベルリンにあるテーゲル国際空港に移動して、明日の8時半のフライトでフランスのパリにむかいます(^^♪
はい。
つまい本日は空港泊!笑
さあーテーゲル空港には良い睡眠スポットがあるかな?笑
こうご期待です笑!
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